ヒキコモリ読書録

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本とか映画とか、感じたこと。

【レビュー】『灰色猫のフィルム』(天埜裕文/集英社)

こんにちは。ふしぎちゃんこにゃべです。

 

今回は猫の本ということで、

『灰色猫のフィルム』(天埜裕文を読みました。

 

あらすじ

主人公の僕は、母親を殺し逃走している。

逃亡生活の中で、あるホームレスに出会い、

数日前から使われなくなったテントを紹介してもらい、

そこで生活することになる。

そのホームレスは猫を飼っていたが、

その猫はある日殺されてしまう…。

 

あらすじはこんな感じ。

それでは3つほど気になる点を。

 

 

考察

第一の点としては、読んでて胸が苦しくなる作品でした。

なんだか今の自分に主人公を重ねてしまって。

「僕」がしてきたように、自分の存在意義とは何なのだろうかと、

無意味な質問を重ねてしまう。

 

哲学的な問いが好きな方には、

とても喜ばれる作品だと思う。

 

※ここからはネタバレ注意

 

 

 

次に、

主人公「僕」が母親を殺した理由は書かれていないが、

おそらく、子供のころに父親が失踪したことが事の発端だ。

 

当たり前のように存在していた父親が失踪したことで、

「幼いころに観た映画のように、

今見ている世界が実は夢だったのだ、

というようなことが現実にも起こっているかもしれない」、

と考えたのだと文章からもわかる。

 

自分を生んだ母親を殺すことで、

自分のいる世界が現実であるとの証拠が欲しかったのだろうか?

 

そうだとしたら、

残念ながら読者にはそれが現実に起こったこととして描かれているのか、

判断するすべはない。

 

なぜなら最後の最後、

主人公の世界は急に、

現実なのかそれとも主人公の見ている夢なのか

わからなくなってくる。

 

それが「僕」が気がおかしくなったのか、

もうすでに「僕」が死んでいるから、

あとは空想の物語ということなのか、わからない。

 

そして三つ目、

文章全体を通して、この「僕」にはあまり感情が無いように思われること。

 

ホームレス(さっきとは別の)の男が、死んだ女を一緒に捨ててくれと

頼んできたときも、

猫が死んでその飼い主のホームレスに襲われた時も、

母親を殺した時も、

状況を説明しているだけで、

なんの感情も描かれていなかった。

 

猫って、感情が非常にわかりにくい生き物だと思う。

だからこそ、題名に猫をつけたのだろうか。

 

それとも幼いころに観た映画の中に出てくる、

自由に空をとびまわる猫に自分を重ねているという意味でつけたのだろうか。

 

主人公のぐちゃぐちゃな内面をそのまま表現しているのがすごい。

読んだこちらもぐちゃぐちゃとした感想しかできないではないか。

 

とにもかくにも、

なんだか、もやもやとする話だったな。

 

 

ううーん。